日曜日の第9回道場 『中国、チベット、台湾、そしてアメリカを分析せよ!』で基調講演をされる有本香さんの著書『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社+α新書)を読ませて頂きました。
この本が公平だなと思うのは、チベットから収奪する中国人の側の気持ちを、長年の海外滞在経験で培ってきた人対人の関係から有本さんが汲み取ろうとしていることです。
ネット右翼が、会ったこともなければ深く知ろうともしない中国や中国人に対し、バッシングネタでのみ憎悪を肥大化させてウサを晴らしているのとは違います。
中国が歴史上直面してきた極端なまでの貧しさ。そうした中で育まれてきた「知り合い以外は全部敵」という価値観が、チベットに対する弾圧とはつながったものであるということ。
「富める中国、貧しいチベット」という構図は決して歴史上不変ではなかったと有本さんは言います
ただ、その貧富の差も、いまの日本人の現実とは到底かけ離れています。
なにしろチベット人がかつて持っていた豊かさでさえ、「ツァンバ(大麦の粉を溶いた主食)さえあれば生きていける」という、その土地に合った節度ある生活習慣の中の「豊かさ」なのです。
ほぼ一家で一人は僧侶がいるのは、自然の内に「人口調整」ができるという「知恵」でもあったのではないかという考察には、唸らされます。
貪欲を自分で戒めることが出来ない、私のような日本人は己を恥じるばかりです。
中国人からは、現実的には何も恵んでくれない神への信仰を捨てないチベット人が遅れた存在に見えます。
同時に「お天道様が見ている」という畏れの感情も抱くことがありません。慈悲を持てない砂漠の心の持ち主なのである、と有本さんはいいます。
そして、自分を見舞った不幸には身も世もあらんばかりに泣き叫ぶ。
神に自分の心の自由を委ねているチベット人は、自らを哀れむ心が少なく、また日本人の多くが思う「誰にもわかってもらえない」という悩みも見られない。彼らの心の自由は「自分のために」という心からすら解き放たれているということなのです。
有本さんは、彼らのあり方を全面的に己の生き方にすることは出来ない自分というものを持ちながら、記しています。
しかし彼らへの恥じらいの心だけは常に持ち続けているし、その感情がいつ、どうして湧きあがったのかというリアルタイムの記述が、いちいち心に突き刺さってくるのです。
その心ときめかす感じが、本書の大きな魅力です。
ただ単に、チベットの惨状をめんめんと書き綴った本ではないのです。
つまりチベットの存在を、中国の非道を糺し、日本人の現状を肯定するための「道具」にしていない。
有本さんは言います。「(ダライ・ラマ)法王が欧米人から絶大な人気を得ているのは、『東洋の神秘』のゆえでも、『悲劇の王』だからでもない。全人類の最先端を行く人だからだ」。
この本の中には、日本人がいまは失ってしまったけれどもたしかにあり、感性の底にいまでも呼び醒ますことが出来る力の予感があります。
日曜日の第9回道場、来られる人も動画で視聴される人も、その先を指し示す未来を見れるかもしれません。
僕も行きます!